軟体動物のブログ

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神谷透を記憶しておきたかった2022夏、「今夜、世界からこの恋が消えても」感想。

映画『今夜、世界からこの恋が消えても』(以下、セカコイ)を見てきました。見てきてからかなり時間も経ってしまったのですが、どうにも消化しきれないので久々に更新します。あらすじ等は調べればわかることなので、省略。

 

第1弾の予告です↓ 

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※本編にこのようなシーンはございません。

透明感ありすぎてむしろ神谷透くんの方が消えそうなんですがという感想。

 

セカコイ、見に行ったら神谷透の女(安室透の女みたいに言うな)になるか、日野真織の女になるか、綿矢泉の女になるかの3択だというのは分かっていたんですが、完全に綿矢泉の女になって帰ってきました。

そもそも、ヒロインの親友役をする古川琴音さんという時点で素晴らしすぎて、さらに、泉ちゃんは真織の守護者ということでほんのり百合の波動を感じつつ(自粛)。

あとは音楽が亀田誠治なので、予告の時点で期待値は高く。ただ恋愛映画というものをあまり見てこなかったので耐性が心配されました。

 

情報解禁当初から主演の二人が消え恋コンビであることも注目されていましたが、実際に見てみると、スクリーンにいる二人は青木くんと橋下さんでは当然なく、透くんと真織ちゃんでした。

消え恋の親友コンビは可愛さマシマシの可愛さ全振りという感じでしたが、セカコイのお二人はひたすらに美人だったなどと。

橋下さんは紛れもなく高校生だったけれど(橋下さん強火担)、真織ちゃんはそこまで高校生らしくなかった気もします。制服ではなく標準服だったこと、可愛さよりも美人に寄っていること、そしてなにより重たいものを背負っていることも大きな影響を与えているのでしょうが。(というか、制服ではなく標準服の高校生という絵面が新鮮で、大学生かと思った。)

顔面が強すぎた。推しの顔面を大スクリーンで見るというだけで息がつまってしまうキモオタなので。(6月にメタモルフォーゼの縁側を見に行った時に予告・メイキングに出くわしてしまい、始まる前からクライマックスだった)(メタモル感想ブログも書きたい)

 

偽りの恋人という設定だからか、ベタすぎるというかわざとらしい台詞のオンパレードだったのですが、恋愛映画ってこんな感じなんですかね。恋愛映画・恋人難病モノを見たことがなさすぎて、相場を知りたい。(相場)

「友達を守ったんでしょ、かっこいいじゃん」

「透くんといると安心する(意訳)」

などなど(真織ちゃんの台詞ばかり覚えているキモオタ)、偽りの恋人の条件として ③本気で好きにならない を挙げているのに、このような台詞をその素晴らしい顔面で連発して、お互いをどっちが早く落とせるかという勝負でもしてるんですかね? 透くんも真織ちゃんも自分の顔面の良さを自覚してください。

 

 

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以下、ネタバレ含みます

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神谷透について

本編始まって数分は透くんが出てこなくて、それどころか透くんと真織ちゃんが”現在”では一緒でないことを突き付けられてから始まる、透くんがいた時間の回想。絵から透くんが出てくる演出が最初のシーンだったので、透くんは本当に実在しないのでは、になってしまった。

神谷透くんって絶対実在しないよね……いや実在はしてないんだけど、あんなにいい子いないよ。あらすじから想像できたことではあるのですが、ヤングケアラーとまではいかなくても親の親のような役割を果たしていて、高校生にして自分と親の面倒を見るってなかなかできることではないので。もちろん、そういう状況に陥っている方々が少なくないとはわかっているんですが。

淡々と生きていた透くんを連れ出したのは紛れもない真織ちゃんで、でも、そうなったのは透くんが優しくて少し自己犠牲が過ぎるからであって、真織ちゃんと関わるうちにだんだんと背筋が伸びて、長い前髪から美しいお顔が見えるようになっていく。真織ちゃんにお母さんの話をする時、声のトーンが一層優しくなって、心を許しはじめたんだなと気が付いて泣いてしまった。

 

だからこそ、初期の透くんを無気力・人生に希望がないという言い方をされてしまうと、自分の面倒すら見れない俺は一体何なんだになってしまう(隙自語)。確かに透くんは淡々と生きているかもしれないが、家事をやってちゃんと学校に通っている、趣味の本も読めている。なんの不足があるんですかね。求めすぎじゃない? 無気力な人間というものはもっと無気力だぞ。

僕は、人間の感情の表出の手段・時期などは人それぞれである、という論を展開しようとしてアンナチュラル1話の(恋人が亡くなったのにあまりに淡々としすぎだと主張する爆弾小僧に対して)「淡々とした人なんじゃない?」という三澄ミコトさんの台詞を思い起こしました。よく知りもしない他人がこうあるべきと決めつけたり、こうだからこういった感情であると推測することの早計さを身に染みます。本当の感情なんて本人にしか、本人でさえもわからないこともあるので、結論を早々に出さないことや、自分の解釈と他人の意見は異なることを自覚すべきだと常々言い聞かせています。

とはいえ、僕も見る前から勝手に透くんを決めつけて、勝手に解釈違いも起こしていたわけですが。試写会終了後、ネタバレを踏んでしまい、キスシーンがあると聞いてリアコ勢のように拗らせてしまったのですが、本編を見て、その事実だけを聞いたら透くん解釈として不一致だったからだと分かりました。

透くんは真織ちゃんの記憶障害のことを知っていて、真織ちゃんにとっては毎日初対面であることを理解した上で、それでも一緒にいることを選んだので、その日初めて会った子を同意もなしに怖がらせることはしないと思っていて、

しかし、真織ちゃんが「忘れたくないよ」と気持ちを吐露したこと、加えて、「3つ目の約束破ってもいい?」という言葉があってはじめて、透くんの想いも溢れたんだなと。

そもそも、我々の考える透くん解釈・透くんらしさ、つまりアイデンティティというものは日々の透くんの言動が積み重なることで確立されるものです。積み重ならない記憶をテーマにしているこの作品において、ましてや真織ちゃんにとっての透くんとは、記録の中の人であり、毎日初めて会う人なので、透くんらしさというものが本当の意味では存在しないのかもしれないなと思いました。

透くんは僕が想像していた以上に優しくて、穏やかで、紳士で、真摯で、恋人のしあわせだけを願っていた子でした。なんて子なんだ。絶対実在しない。儚くて消えそう。薄い。

 

 

日野真織について

真織ちゃんは、橋下さんとはまた違った、芯の強さを持った女の子でした。どうあがいても日々の記憶が記憶として積み重なっていかないという、もっと投げやりになってもおかしくない状態でありながらも真面目に、懸命に生きようと努力していて、また、それが周りの支えのおかげであることもわかっているというこちらも大人な子です。

真織ちゃんの”記憶が積み重なっていかない”という設定はよくあるものだとは思いますが、やはり切ないことには変わりなく。真織ちゃんは日記として記録することでどうにか記憶を繋ぎとめようとしていましたが、結局のところ、記録は記録でしかなく。全く憶えのない記録と、優しく美しい偽りの恋人に毎日向き合っている。苦しいだけではなく楽しいこともあったらからこそ、その記憶が消えてしまうことがさらに苦しくなっていく。観客からしても、透くんと真織ちゃんを美しく、素敵に、愛おしく思えば思うほどに切なくなっていきます。

 

綿矢泉について

泉ちゃんは、非常に良かったです。本当に素晴らしかった。公式からも影の主役という言葉がありましたが、これは紛れもなく主役。

予告を見た人は、何かしらの形で二人の恋が損なわれていることを知った上で来ているので、本編最初の方から終始泉ちゃん視点にもなれる演出なのがよかった。

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冒頭からの、泉ちゃんが真織ちゃんの日記を朗読している場面では、完全に”掌の上の 動かない景色の 中から僕らが僕を見ている”(記念撮影/BUMP OF CHICKEN)じゃん……になってしまいました。

それこそ、終わる魔法であることはそれぞれ分かっていたとは思いますが、こんな結末だとは思わなかったでしょうね。もちろん、スクリーンの中で生き続けている彼女らにとってはエンドロールが結末ではないのですが。

見終わってからしばらくの間、泉ちゃんと寿限無(俺の家の話)と吉川優子(響け!ユーフォニアム)のことを考えていました。おそらく属性が一緒なんだと思います。ただ、寿限無よりも苦しいのは、大切な人を亡くして、もう一人の大切な人は生きているのにも関わらず、失ったものばかり見ていて自分を全く見てくれないことです。

 

ただ、記憶の改竄行為は果たして許されるものなのか、故人と個人の意思のどちらを尊重すべきなのか、などの倫理的な疑問は残ります。

泉ちゃんは真織ちゃんのことが大切で、真織ちゃんが苦しまないようにすることが正しい選択だと思った、それによって透くんの意思もまた尊重できるからと実行したわけですが、罪悪感がないわけもなく。過去の泉ちゃんと現在の泉ちゃんが交差するシーン、現在の真織ちゃんが絵を描いているのを眺める泉ちゃんのシーンは圧巻でした。やっぱり古川琴音さんなんよ。

 

 

 

映画のイメソンを考えるコーナー

まだ予告も1つくらいしか出ていない4月の時点でイメソンを考えていたんだけど(激ヤバオタク)、BUMP OF CHICKENさんのGravityに対して、

セカコイはこういうことを描きたいんじゃないだろうか/こういった心情のキャラクターなのではないか

おそらくハピエンとしてのエンディングではないと思うけど、透くんは真織ちゃんに明日が来ることを願い続けるんだろうなーと、

(奇しくも『Gravity』は真織ちゃんの中の人である福本莉子ちゃんがカルテット主演を果たした、同じ三木孝浩監督の「思い、思われ、ふり、ふられ」がアニメ映画になった際の主題歌である)

という走り書きが僕のTwitterに残されています。なんてこと。まんまそうじゃねえか。

透くんは、「どんな記憶も完全に消えるわけじゃないよ」と言ってくれましたし、映画としてもそうであったという結論の持っていき方でしたが、

どうやっても記憶を完全にとどめておくことはできません。

それでも、「僕は忘れない、今日の日野のこと」と言っているので、何かしらの形で”完全体”になるとは予見していたものの、実際に起こってみるとつらいですね。固定化された状態になったから、という、「僕を忘れてしまう君との忘れられない恋」ってこういうことかよ。

 

夏のあいだずっと透くんについて考えて、真織ちゃんと泉ちゃんのこれからについて考えていたらもう夏が終わっているんだよWow Wow……(Revival/スキマスイッチ)になってしまった。透くんにはもう会えないんだなと思うと苦しいですが、また記憶の中でそっと笑ってください。

 

というか、長尾くんに引き続いて道枝くんも初主演映画で亡くなった方の役だったという恐ろしいことに気が付いてしまった僕。千輝くんは死なないでください。(多分そういう系の話ではない)

 

今回は以上です。